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アンチェルの資料はきわめて少なく、評伝といえば「Ancerl(Supraphon,1968)」1冊のみである。しかもこの一冊がチェコ語で絶版と来ては、アンチェルについて詳しく知るのは至難の業といえる。それでも下記の文献では、部分的にではあるにせよアンチェルのことが取り上げられており、十分に興味深い。またアンチェルが登場しなくとも、アンチェルの生きた時代背景を知る上で貴重と思われるものは載せることとした。
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このサイトの内容をもとに、ディスコグラフィーを追加してまとめました。
トロントでのアンチェルの活動を垣間見ることができる。
ハーバのオペラ「母」上演に向けて仲間と話し合う姿、戦後「5月5日歌劇場」で指揮を執る姿など、ほかでは見られない写真が満載で、チェコ語がわからなくとも十分嬉しい一冊。来日した際の浴衣姿も収められている。これまで活字でしか追うことのできなかったアンチェルの生涯が、多少なりとも生きたものとして浮かんでくる。
テレジーンで行われていた演奏会のポスターや、生み出された作品の楽譜などカラーで豊富に紹介されている。「総統はユダヤ人に一つの町を送った」というプロパガンダ映画の写真も多く、緊張した面持ちで指揮をとるアンチェルの姿もある。
アンチェルの最初の就職先である「プラハ解放劇場」に関する文献。内容の多くは劇場の二枚看板ヴォスコヴェッツとウェリフに割かれており、アンチェルに関する記述は見られないが、アンチェルが「人生のなかでもっとも楽しかった」としている劇場の雰囲気を知ることができる。
死と隣り合わせという状況のなかで、人々は音楽に救いを見出していた。音楽とは何かと心を揺さぶられる。アンチェルを理解する手がかりとなる一冊。
わずか10ページ程度の小冊子といった手合いのものだが、1955年西ドイツ演奏旅行での新聞批評が多数転載されており、チェコフィル就任6年目のアンチェルの音楽をうかがい知ることができる。
アメリカの音楽評論家である氏が20世紀の音楽史を独自の視点で概観。第9章で第三帝国の音楽について触れられている。
アンネ・フランクの隠れ家生活を支えたクグラー氏が生涯を語った一冊。オットー・フランクがアンチェルの晩年の演奏を聴いたという貴重な証言が収められている。
トロント亡命後唯一の里帰り公演を聴いた演出家・三谷礼二氏が「カレル・アンチェルとの一期一会」と題し、1969年プラハの春音楽祭での模様を回顧した文章を寄せている。
わずか数ページだが、日本語で読める貴重なアンチェル伝である。ここでの記述はTAHRAレーベルの7枚組のうちの一枚(TAH160「生涯を語る」)に基づいている。
第11話で収容所での音楽について触れられており、「Music in Terezin 1941-1945」のあらすじを掴むことができる。
定価150円。紙やけした古い雑誌が、アンチェルが来日時にどれほど高い評価を得たのか伝えてくれる。「てがたくまとめられたアンサンブル、すこしの無理もなく鳴りわたるフォルテッシモ、忠実なリズムとテンポ」、北沢方邦氏がアンチェルの素晴らしさを過不足なく物語っている。
さすがにこれは関係が薄いかなと思われる本、名盤ガイドといった類の本はこちらで紹介。
いわゆる名盤ガイドブックなどでアンチェルの名前を見かけることはほとんどないが、このCD屋さんがしっかりと取り上げている。
プロコフィエフの評伝だが、一瞬アンチェルが登場する。アンチェルは26歳のときチェコフィルとプロコの3番を成功させ、その旨を本人に手紙で伝えている。
シェルヘンがこの本を書いたのは1929年、まさにアンチェルが師事していた時期である。近現代に造詣が深かったことが手に取るようにわかる。「指揮者は、自分の芸術により生命を分け与える人間である」という言葉も印象的。
1959年来日時のポスターが掲載されている。